岡崎城へ行ってきた [岡崎城]
今回から岡崎城へ行ってきたときの
話などを紹介。
なんか、これまでのマイナーな城から
少しメジャーな感じの城になった。
ただ、全国レベルで岡崎城の知名度はどれくらいだろう。
徳川家康の出身地ということも、どれだけ認識されているか。
まずは、岡崎城の紹介。
菅生川と矢作川の合流地点にある龍頭山という丘陵を利用して造られている。
元は、龍頭山の砦として三河国仁木氏の守護代であった西郷稠頼、そして、
その子頼嗣が北方に対する防御として築城したものである。
当時は、龍燈山城と呼んだ。それを、松平清康が西郷信貞(松平昌安)から奪い取り
改修拡張整備したものが岡崎城である。
龍頭山はもともと小高い丘で、山頂に本丸が置かれた平山城として築かれていたが、
本多康重から3代忠利(1600年(慶長5年) - 1645年(正保2年))にわたる改修によって平城となっている。
この際、本丸に複合連結式望楼型3重3階の天守(1617年(元和3年))が建てられた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E5%9F%8Eより
つまり、家康が城主としていたころは天守閣がなかったということ。
いまの感覚でいえば、当時から天守閣があったようにおもえるが。
続きは次回
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菅生川と矢作川の合流地点にある龍頭山という丘陵を利用して造られている。
元は、龍頭山の砦として三河国仁木氏の守護代であった西郷稠頼、そして、
その子頼嗣が北方に対する防御として築城したものである。
当時は、龍燈山城と呼んだ。それを、松平清康が西郷信貞(松平昌安)から奪い取り
改修拡張整備したものが岡崎城である。
龍頭山はもともと小高い丘で、山頂に本丸が置かれた平山城として築かれていたが、
本多康重から3代忠利(1600年(慶長5年) - 1645年(正保2年))にわたる改修によって平城となっている。
この際、本丸に複合連結式望楼型3重3階の天守(1617年(元和3年))が建てられた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E5%9F%8Eより
つまり、家康が城主としていたころは天守閣がなかったということ。
いまの感覚でいえば、当時から天守閣があったようにおもえるが。
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