一橋治済の野望 [一橋家]

今回は、城から離れてある人物に焦点をあててみた。

その人物は、徳川治済

11代将軍徳川家斉の父であり、8代将軍徳川吉宗の孫であり、一橋徳川家の2代目という
この人物。

徳川300年

一族には、さまざまな策略家がいたであろうが、おそらくこの人もベスト3には入るのではない。

ある歴史の本を読んでそう思った。

それはなにか?

まずは、彼の生い立ちから

徳川宗尹の4男として生まれる。

長男ではないから、家督は継げない。

しかし、兄2人が福井藩に養子にでたため、家督を継ぐことに。

14歳のときのこと。

まだ、このころは野心家としては目覚めてないだろう。

と思う。

この時点では、そうだった。

後の彼の最大の野望は息子を将軍にすること。

そのため、邪魔なのが将軍親子、

10代将軍、徳川家治、息子の竹千代、後の家基。

2人とも元気である。

11代は当然、家基できまるはず。

このふたりになにかあっても次の将軍は、御三卿の筆頭は田安家であるから
さらに壁が立ちはだかっている。

当然どうにもならないはずが、どうにかしてしまったのが
この人のすごいところ。

では、どうしたのか?


ながくなったので、また次回。


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ああ

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