木ノ下城 [木ノ下城]
今回は木ノ下城をたずねてみました。
木ノ下城はあまり有名ではありません。
もちろん、秀吉とは関係ありません。
では、木ノ下城をすこし解説
1469年(文明元年)、越前国・尾張国の守護斯波義敏の命により、
織田広近(尾張国上四郡守護代の織田敏広の弟)は小口城から犬山に移り、木ノ下城を築城し、城主となる。
美濃国の斎藤妙椿に対する牽制の役割があったという。
織田広近は犬山の乾山には戦い用の砦を築いている。
1537年(天文6年)、織田信康は乾山の砦に城郭を造営し、犬山城として整備する。
木ノ下城は廃城され、織田信康は犬山城に拠点を移す。
1564年(永禄7年)、織田信長が犬山城に籠もる織田信清を攻める際、
かつての木ノ下城址に宿営し、犬山城攻めの拠点とする。
1606年(慶長11年)、木ノ下城址に愛宕山長泉寺延命院が建立される。
延命院は明治初期の廃仏毀釈、神仏分離のため廃止され、延命院の中にあった愛宕神社になる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E3%83%8E%E4%B8%8B%E5%9F%8Eより
つまり、犬山城の出来る前に存在しており
ここを解体したあとの材料が犬山城に使われているということらしい。
現在は、石垣が名残をとどめている。
これが、木ノ下城の碑。
これが、木之下城の井戸であった、金明水です。
最後に、城跡に立てられた愛宕神社
石垣はそのまま利用してるようです。
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木ノ下城はあまり有名ではありません。
もちろん、秀吉とは関係ありません。
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1469年(文明元年)、越前国・尾張国の守護斯波義敏の命により、
織田広近(尾張国上四郡守護代の織田敏広の弟)は小口城から犬山に移り、木ノ下城を築城し、城主となる。
美濃国の斎藤妙椿に対する牽制の役割があったという。
織田広近は犬山の乾山には戦い用の砦を築いている。
1537年(天文6年)、織田信康は乾山の砦に城郭を造営し、犬山城として整備する。
木ノ下城は廃城され、織田信康は犬山城に拠点を移す。
1564年(永禄7年)、織田信長が犬山城に籠もる織田信清を攻める際、
かつての木ノ下城址に宿営し、犬山城攻めの拠点とする。
1606年(慶長11年)、木ノ下城址に愛宕山長泉寺延命院が建立される。
延命院は明治初期の廃仏毀釈、神仏分離のため廃止され、延命院の中にあった愛宕神社になる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E3%83%8E%E4%B8%8B%E5%9F%8Eより
つまり、犬山城の出来る前に存在しており
ここを解体したあとの材料が犬山城に使われているということらしい。
現在は、石垣が名残をとどめている。
これが、木ノ下城の碑。
これが、木之下城の井戸であった、金明水です。
最後に、城跡に立てられた愛宕神社
石垣はそのまま利用してるようです。
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